「RIP」カテゴリーアーカイブ

KIRA TOMOHIKO(1959-2016)

森岡賢に続いて、ショックが抜けません。
上野洋子がいなくなり、ひとりZABADAKがいろんな道を歩き、そして小峰公子とふたりZABADAKになって。
上野洋子期からのだいたいを見てきたПсиは、どのZABADAKにも思い入れがあって、たとえば好きなアルバムを挙げろとか言われてもどうにもならない今日この頃です。

なんとなく思い立って、最近「ここが奈落なら、きみは天使」と「Decade」を繰り返し聴いていた最中だっただけに。


………………
ああ。

MORIOKA KEN(1967-2016)

一昨年、「一定数購入者がいればリリースするよ」でおなじみSony MusicのオーダーメイドファクトリーSOFT BALLETのVISIONS 90/92のリリースが決まった時は狂喜して。
2013年末に、Псиの棲み処のテレビはゲームも頑張れる42インチの液晶テレビになったのですが、このテレビとPS3で初めて見たDVDは、このVISIONS 90/92の4枚目のBODY TO BODYでした。

minus(-)が始まって、でも最初のミニアルバム「D」のインタビューを読むと「僕は実はSOFT BALLETをまたやりたかったので」と言い出す森岡賢。
どれだけSOFT BALLETがだいすきだったのかと。

「D」はかなりヘヴィローテーションしていて、minus(-)の無機質加減と時間を歪ませる感じ…これはミニアルバム特有の感覚ではありますけれど、それにしても…が本当にだいすきでした。LUNATIC FEST.でも、minus(-)を知らないヒトでも間違いなく森岡賢と見えるパフォーマンスは健在で、今後を本気でたのしみにしていました。

それなのに。

ココロからお悔やみを申し上げます。
さようなら。

Iwata Satoru(1959-2015)

Псиが初めて「任天堂の岩田社長」を意識したのは、MOTHER3開発中止座談会だったと思います。当時、「座談会なんて開いて言い訳している様では、この先この人たちに何のゲームが作れるんだ」といった批評をよく見ました。

ただ、この座談会は、時間が経てば経つ程色々なことを教えてくれます。

何よりも、当時世間を席捲した「3D病」をこの錚々たるメンバーも患っていて、それをマリオ64や時のオカリナがなまじ傑作だっただけに、歯止めが掛からなかった、というお話がとても印象的です。

その後、MOTHER3のGBA版発売に伴っての伊集院光さんとの対談での「続けてる、と言ってたらずっと待たれてしまうから。一旦終わった、という形を取らないと先へ進めなくなる」→タクシーの中での再開という流れを知った上だと、味わいもひとしおです。

ファミコンから今に至る様な、そしてバーチャファイターが呼び込んだ3D病の熱みたいなものが、これからもゲームの世界を面白いものにさせますように。

その中にあって、岩田社長の提唱したことや姿勢が、だれかのなにかに伝わっていきますように。

楽しいゲームを、ありがとうございました。